77.

なぜか覚えている話シリーズ②

 

おばちゃんって言うな

 

福岡の小学校に通っていた小学四年生の頃、

奥村君(通称・おっくん)という子が

横浜から転校してきた。

 

 おっくんは色白でひょろひょろしていて、

あまり運動は得意ではなかったが、

野球が好きな男だった。

 

その内、自分が所属していた野球チームにも

加入して、卒業するまでは結構遊んでいた。

 

おっくんと自分は帰り道も一緒だった。転校初日の自己紹介で、担任の先生が「この中だと帰り道が一緒なのはお前だな」と公然の場で住所をほぼバラしてきたことによって、「どちらが先に一緒に帰ろうと誘うべきなのか」という小4にしてはなかなかの難題が、一日中、自分とおっくんの頭を悩ました。

 

ただ、おっくん自身も転校先でのスタートダッシュを意識していたのであろうか。放課後に、「帰り道一緒っちゃろ?今日一緒に帰らん?」とひとつも口に馴染んでいない、おそらく人生初であろう博多弁を駆使して自ら誘ってきた。その日以来、3年間ほぼ一緒に下校することになった。

 

なぜか覚えているのはおっくんが転校してきてから初めて参観日があったときの話。

 

4年間も同じ学校に通っていれば、大体、その子のお母さんの顔はなんとなく雰囲気も含めて分かってくるなかで、明らかに見覚えのないお母さんとおっくんが話をしていた。

 

今、考えれば相当どうでも良い疑問ではあるが、下校中、何の気なしにおっくんに聞いてみた。

 

「さっき、おっくんが話しよった人っておっくんのおばちゃん?」

 

すると、おっくんから思いもよらぬ返答が返ってきた。

 

「いや、おばちゃんって言うな」

 

なぜか怒られた。自分の住んでいた地域では、友達や知り合いのお母さんを「おばちゃん」と呼ぶのが普通のことだった。自分の母親も当然のように「おばちゃん」と呼ばれていたし、それに対してなんとも思わなかった。

 

思わず「えっ?」と声を出して、おっくんの顔を見ると、まじで普通に悲しそうな顔をしていた。

 

 中学校から東京に来て分かったことだが、関東ではあまり、人の親をおばちゃんと呼ばないらしい。自分の友達は「〇〇のお母さん」という感じで呼んでいた。

 

ちなみに、自分が尋ねた人がおっくんのおばちゃんで合ったことは正しかったようだ。ただ、おっくんは横浜育ちなので、自分のお母さんを「おばちゃん」呼ばわりされたのが本気で嫌だったのだろう。

 

小学校を卒業して以来、おっくんには会っていないが、未だにそのことは覚えている。ただ、もし10何年ぶりに再開したからといって、「あのときはごめん」と言うような話では絶対ない。誤っていたら気色が悪い。

 

ただ、久々に会ったとしたら絶対、無言の時間はあるので思い切って話してみるのも良いかもしれない。

 

いずれにせよ、ただただ何年かに1回、2秒ほどそのことを思い出すという時間が死ぬまで自分に付きまとうことだけは確定している。