78.

嫌いなもの(2020.5/9時点)

 

あ・・・後出しジャンケン的行為

い・・・今の仕事

う・・・穿った視点に自信があるやつ

え・・・絵をかく

お・・・オンライン飲み会

か・・・カジサック 

き・・・キン肉マンの例え

く・・・クールぶってるやつ

け・・・けん玉がうますぎるやつ

こ・・・子機がないとき

さ・・・先が見えない状態

し・・・締め切り

す・・・スロットで負けたとき

せ・・・勢力図が見えたとき

そ・・・「そんな感じで、、、」という見えていない指示

た・・・誕生日を知らせてくるやつ

ち・・・血

つ・・・痛風への未だ見ぬ恐怖

て・・・天丼のタレ

と・・・トリミング

な・・・成田空港までの距離と所要時間

に・・・日記

ぬ・・・盗み

ね・・・猫

の・・・飲み会がつまらない

は・・・「は」から始まる今の会社にいるやつ

ひ・・・ヒステリックな人

ふ・・・冬

へ・・・蛇

ほ・・・ホトトギスの三代将軍のやつで、オリジナルのやつ作る流れ

ま・・・マッキーが薄い

み・・・ミッキーマウスの黒目

む・・・むず痒さ

め・・・目が笑っていないやつ

も・・・「もしもし」の意味不明さ

や・・・ヤクザ

ゆ・・・雪

よ・・・「〇〇呼んできて!」という指示。自分で行け。

わ・・・賄賂

(を)

(ん)

77.

なぜか覚えている話シリーズ②

 

おばちゃんって言うな

 

福岡の小学校に通っていた小学四年生の頃、

奥村君(通称・おっくん)という子が

横浜から転校してきた。

 

 おっくんは色白でひょろひょろしていて、

あまり運動は得意ではなかったが、

野球が好きな男だった。

 

その内、自分が所属していた野球チームにも

加入して、卒業するまでは結構遊んでいた。

 

おっくんと自分は帰り道も一緒だった。転校初日の自己紹介で、担任の先生が「この中だと帰り道が一緒なのはお前だな」と公然の場で住所をほぼバラしてきたことによって、「どちらが先に一緒に帰ろうと誘うべきなのか」という小4にしてはなかなかの難題が、一日中、自分とおっくんの頭を悩ました。

 

ただ、おっくん自身も転校先でのスタートダッシュを意識していたのであろうか。放課後に、「帰り道一緒っちゃろ?今日一緒に帰らん?」とひとつも口に馴染んでいない、おそらく人生初であろう博多弁を駆使して自ら誘ってきた。その日以来、3年間ほぼ一緒に下校することになった。

 

なぜか覚えているのはおっくんが転校してきてから初めて参観日があったときの話。

 

4年間も同じ学校に通っていれば、大体、その子のお母さんの顔はなんとなく雰囲気も含めて分かってくるなかで、明らかに見覚えのないお母さんとおっくんが話をしていた。

 

今、考えれば相当どうでも良い疑問ではあるが、下校中、何の気なしにおっくんに聞いてみた。

 

「さっき、おっくんが話しよった人っておっくんのおばちゃん?」

 

すると、おっくんから思いもよらぬ返答が返ってきた。

 

「いや、おばちゃんって言うな」

 

なぜか怒られた。自分の住んでいた地域では、友達や知り合いのお母さんを「おばちゃん」と呼ぶのが普通のことだった。自分の母親も当然のように「おばちゃん」と呼ばれていたし、それに対してなんとも思わなかった。

 

思わず「えっ?」と声を出して、おっくんの顔を見ると、まじで普通に悲しそうな顔をしていた。

 

 中学校から東京に来て分かったことだが、関東ではあまり、人の親をおばちゃんと呼ばないらしい。自分の友達は「〇〇のお母さん」という感じで呼んでいた。

 

ちなみに、自分が尋ねた人がおっくんのおばちゃんで合ったことは正しかったようだ。ただ、おっくんは横浜育ちなので、自分のお母さんを「おばちゃん」呼ばわりされたのが本気で嫌だったのだろう。

 

小学校を卒業して以来、おっくんには会っていないが、未だにそのことは覚えている。ただ、もし10何年ぶりに再開したからといって、「あのときはごめん」と言うような話では絶対ない。誤っていたら気色が悪い。

 

ただ、久々に会ったとしたら絶対、無言の時間はあるので思い切って話してみるのも良いかもしれない。

 

いずれにせよ、ただただ何年かに1回、2秒ほどそのことを思い出すという時間が死ぬまで自分に付きまとうことだけは確定している。

76.

今日も特にブログに書くことがないなぁと考えていたとき、保育士の知り合いから電話が来た。

 

かなりイラついている様子だった。

 

話をじっくり聞いてみた。イラついていた理由は以下の内容だった。

 

例年だと卒園式の映像をDVDに焼いて園児に送っているが、コロナの影響で業者の作業が滞っているらしく、特例としてYouTubeに限定公開して流すことになったらしい。

保護者と職員には事前にQRコードが配布されており、「GWのお暇なときにぜひ、ご覧になってください。ただ、プライバシーの問題もあるので、あくまでも私的に観てね。不用意な流出は控えてね。」とのことだったそうだ。

 

ただ、あるオバさんの先生が、限定公開の仕組みを分からず、事前に配布されていたQRコードについても何たるかを知らないので、YouTubeのアプリからわざわざ検索して「観られない」と当たり前のことを言って嘆いてきたとのこと。

 

なので、自分の知り合いは、面倒ながらも観ていたYouTubeの映像を画面録画してオバさんのラインに送ってあげたそうだ。

 

すると、すぐに既読がついてオバさん先生から「ありがとう」と返事が来た。

 

自分の知り合いは「良かった。終わった。終わった。」と、また動画に戻ったらしい。

すると続けざまにもう一件、オバさん先生からラインが来た。

 

「ただ、子どものプライバシーもあるから不用意にSNSには上げないでね」と言われたとのことだ。自分の知り合いは「なぜ、親切でやったことで、私が少し嫌な気持ちにならないといけないんだ」と嘆いていた。

 

これは、本当にめちゃくちゃわかる。

「いや、あんたのためを思ってやってあげたんですけど。なぜ、そんな返答する?」みたいなことが忘れかけていた頃くらいに起きる。

 

困っていた人を助けてあげてなんで嫌な気持ちにならないといけないんだよみたいなコミュニケーションはもう世の中からなくなってほしい。

 

そんな経験をする度に、自分の中のホスピタリティ精神が死んでいく。

 

自分がオッサンになって、注意する立場になったら、まず一度そいつの立場でそいつが起こした行動について考えてやろう。

75.

槍槍家嫌々について

 

今日は特に嫌なことも上司とのだるいやりとりもなく、日記を書いて消化させたい煩わしいことがほとんどなかった。

 

なので、人物評の練習をするために、自分が落研で出会った人間を1人ピックアップして書いてみたい。

 

第一回 槍槍家嫌々 編

 

第一回目(一応)は特に理由もないが、槍槍家嫌々について書こう。

 

槍槍家嫌々は法政落研で同期だった男だ。

実は自分とは入部した日が全く一緒で、期間だけで言ったら大学時代、一番長く一緒にいた人間かもしれない。初めて会話をしたのは自分が落研の部室のドアを最初に開けた日。誰が先輩かも分からないので、なんとなくその場にいる人全員に向けて自己紹介をしたところ妙に馴染んだ面構えで拍手して出迎えてきた。後から聞いたら「自分も30分程前に入部した」という。

 

「奇妙な人だな」というのが初めて抱いた奴への印象だ。

 

ただ、そんな出会いもさておき、槍槍家嫌々とはすぐに仲良くなった。という美談は一切ない。「なんとなくヘラヘラしている人だな」という印象が加わっただけで2年が過ぎた。

 好きとか嫌いとかではなく、ただただお互い、顔を合わす機会がなかった。自分は特に落研での活動が面白いと思えず、槍槍家嫌々は塾講師のアルバイトで忙しかった。

 

仲良くなり始めたのは3年生になってからだろう。2人とも教職課程を専攻していたので他学部なのに授業が被ることが多くなった。教職課程の授業は4限や5限などの遅い時間に始まるので、それまでよく部室で暇を潰していた。

 

最初の内はなんとなく間を詰めるために話をしていた感は否めない。ただ、いざ話をしてみると、一応、2年間一緒のサークルにいたとは思えない、知らなかった話がドバドバでてきた。

 

実は天文サークルとの兼部であるということ・1浪していること・台湾とのクォーターであるということ・この前の春休みにモンゴル旅行に行っていたこと・バイト先の塾が先生をあだ名で呼ぶ方針で、生徒からは本名を文字って「ゆう」と呼ばれていること・その時点で300回近くあったオードリーのANNを既に2周して聴いていること・高校の陸上部の走り幅跳びの練習で着地した後、両手を天にかざす「ショーシャンクの空にごっこ」をして友達と楽しんでいたこと・地元の公園でスケボーをしていること、ツチヤタカユキのnoteを課金して読んでいること、などなどそれ以外にも挙げだしたらキリがない。

 

その話を聞くたびに思った。

 

「なんて奇妙な人だ」と。

 

彼は言いたくならない。

普通の人だったら真っ先に誰かに言いたくなるような変わった話を、彼は誰とも共有せずに1人で心に留めて楽しむことができるのだ。

 

そして、奴がいつもヘラヘラしている理由もそこでなんとなく分かった。

 

奴は「人生を楽しむ才能」がこれまで自分が出会った人間の中でもズバ抜けている。他人に共感してもらわなくても自分が楽しかったらそれはそれで良いので、周りの目も気にならない。生活のなかで起こる様々な出来事を(謎の)懐の深さで消化しながら無意識の内に楽しい方向に変えて生きいける。

 

だから、訳の分からない落語をやって、嫌な大人のおもちゃにされて急にプロの高座の前座をやれと言われても別にどうだっていい。心底、そいつらに興味がないし、自分が面白いと思うことをやれるんだから。

 

そこに気がついたら、もう槍々家嫌々の虜だ。

「今まで知り合った人のなかで誰のような人間になりたいか?」と聞かれたら、槍々家嫌々は間違いなく候補の1人には入る。行けたら行くというスタンスが誰よりも似合う。あの他人への関心の薄さと、人生を楽しむ才能には、一歩間違えればとんでもない不良にもなりかねない素養すら感じられる。

 

就職活動の時、奴は初任給と福利厚生だけを見て就職先を選んでいた。他の人から見ればそれはおかしなことかもしれない。でも、槍々家嫌々にとってそれは至極真っ当なことだ。何もおかしなことはない。槍々家嫌々が良いと言ったらそれが槍々家嫌々の正解なのである。

 

ちなみに、卒業してから槍々家嫌々にはほぼほぼ一回も会っていない。どうせ何年経っても良い意味で槍々家嫌々は槍々家嫌々のままだ。絶対に。そう考えると会うのはいつでも良いと思う。

 

 

 

長かった。

なぜ、槍々家嫌々でこんなに時間と頭を使わなければならないのだ。

もう二度としない。

73.

なぜか覚えている話シリーズ

 

ホットスナック

 

高校のハンドボール部で練習試合に行ったとき、コンビニで昼飯を買う機会があった。その際に、ヤギヌマとウエクサ(敬称略)という先輩とばったりコンビニで鉢会ったときの話。

 

ヤギヌマとウエクサの人となりについて簡単に説明すると、正直、あまりハンドボールは上手くなく、雰囲気的にも変な人たちだった。負けず劣らず変な人だったテルヤ(敬称略)という先輩を含めた3人(ときどきヒデアキという先輩もいる)で彼らはいつも一緒にいた。

 

だから自分がコンビニで挨拶をしたときも、怖い先輩に比べるとだいぶ簡素なものだった筈だ。無難に挨拶を済ませ、多分、自分がその時、食べたかったものをなにか選んでレジに並んだのだろう。何を買ったのかということまでは詳しく覚えていない。

 

なぜか覚えているのはレジに並んでいるときに、ひとつ前で(どういう訳か)一緒に会計を済ますヤギヌマとウエクサの以下の会話だ。

 

ヤギヌマ「すいません、ホットスナックのアメリカンドッグ1つください。おい、ウエクサ。お前もホットスナックなんか買えよ。」

 

ウエクサ「いいよ。(いらないよ。)」

 

ヤギヌマ「なんでだよ。美味いんだぞ。ホットスナック。」

 

ウエクサ「いい。(いらない。)」

 

ヤギヌマ「ちぇっ・・・」

 

以上だ。

 

ホットスナック」は読む専用の単語だと思っていた。それは今でも思っている。「ホットスナック」という単語を口に出している人間を見たのは、あれから約10年経った今でもあの一回だけだ。

 

そして、なぜ、ヤギヌマは一度、否定されてもなお、ウエクサにホットスナックを薦めたのだろうか。未だに意味が分からない。自分の好きな食べ物を友達であるウエクサにも食べさせたかったのだろうか。しかも、わざわざ「ホットスナックアメリカンドッグ」と、強調している意味も未だに全く分からない。最後、舌打ちまでしているし。

 

あの時、目撃した会話の強烈な違和感をコンビニのレジ横に並ぶホットスナックを見るといつも思い出す。